クライマーズハイ・日航ジャンボ機墜落事故を追った、新聞記者たちの壮絶な一週間を描いた映画です。
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日航ジャンボ機墜落事故関連の書籍等のご紹介です。自己を風化させない為に、さまざまなことが記録として残されています。
1985年8月12日、羽田発大阪行きのジャンボ機が、群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した事故。乗員乗客524名のうち、生還したのはわずか4名だった。帰省ラッシュのピークであったことに加え、茨城県で開催されていた科学万博の帰りに事故に遭遇した家族連れも多かったという。
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クライマーズハイは、未曾有の大惨事に遭遇した記者たちの壮絶な闘いを描いています。他にもとりあげるべきニュースがある中、この事故をどのように伝えるのか。その葛藤や時間との闘いが描写されています。
1985年8月12日、午後7時頃。それまで見た事もない強烈なニュース速報が、テレビ画面に映し出されました。
『羽田発大阪行きの日本航空123便がレーダーから消える』
たった2行のテロップは、とんでもないことが起きたという事を理解させるのに十分でした。
テレビにテロップが流れたころ、報道各社は大パニックだったといいます。 この時点ではまだ墜落は確定できず、あるいはレーダーに映らないほどの低空で飛行しているか、あるいはどこかに不時着していて無事なのではないか、といった願うような推測もなされていました。しかしそんな願いもむなしく、仮に飛行を続けたとしても燃料が切れる時刻を迎えました。そして日航から正式に発表がなされました。『残念ながら墜落は確実です』
レーダーから消えた場所が群馬県と長野県の境界付近の山中だったため、正確な『現場』を特定するのに、大変な時間がかかってしまいました。日航側や報道側には、周辺住民の目撃情報なども集まり始めていましたが、誤報もあったために、なかなか『その場所』が特定できません。そのころ報道各社は『現場』が分からないままヘリを飛ばす準備をしたり、記者たちを、とりあえず『そっちの方へ向かわせる』といった形をとるしかなかったといいます。現場がもっと早く特定できていれば、もっと多くの人を救えたのではないか、といわれています。
事故から20年以上の歳月が経ち、少しずつ風化して来た点は否めません。事故で大事な人を失った遺族の方々も徐々に高齢化がすすみ、慰霊登山をするのが体力的にも厳しくなってきているといいます。しかし、520名もの尊い命が失われた国内最大級の事故です。忘れてはならない出来事なのです。このたび、映画・クライマーズハイが公開されます。この事故から何かを学びとることが大切ではないでしょうか。山に散った520名の無念な想いから、生きていることのありがたさを学ばなくてはなりません。